上越リポート                2008年5月

  

今回は、先日の新潟行きについてご報告。

新潟へは、最後の瞽女であった長岡瞽女の小林ハルさんや高田瞽女の杉本シズさんたちをたずね、年に何度かうかがうのが習慣でした。でも、お二人が亡くなられてからのここ数年は、演奏旅行以外ではなかなか訪れる機会を持てずにいたんです。

瞽女さんたちにはお会いできなくなってしまったとはいえ、ゆかりの地を巡ったり、資料収集をしに新潟に行きたいなあと、ずっと思い続けていて、今回ようやく一泊二日の小旅行を実現することができました。

いつも、新潟に行く度に、あそこにも行きたかった、ここにも行ってみたかったと、未消化なものを感じて来たんです。それというのも、新潟の縦に細長い、あの移動に長時間を要する地形…、そして、新幹線が通っているとは言え、ちょっと外れたところになると一日に数本というバスに頼らざるを得ない交通状況。それらにいつもいつも阻まれ、今回も一ヶ所しか回れずに終わってしまったなぁ、というようなことばかりだったのです。

それで、ついに今回は、東京からの車移動を決意しました。免許を取得してから3年半、助手席に座った人をもれなく凍りつかせてきた運転下手の私ですが、効率良く回るためにはやっぱり車しかないと、決心を固めたというわけです。

 

 

5月17日の朝6時に東京を出発、練馬から関越自動車道に入り、一路、最初の目的地・柏崎へ。じつは、この日は私の誕生日でもあったのですが、そのおかげなのかどうなのか、快晴の正にドライブ日和といったお天気で、雨道を心配していた私も一安心でした。やはり、私の下手な運転プラス雨の高速なんて…、想像するだけで恐ろしい。

柏崎では、画家の木下晋さんの個展で、ちょっぴり演奏させて頂くことになっていました。木下さんは、小林ハルさんを描いた一連の作品でも知られている方で、鉛筆のみで描かれた作品は写真とみまごう緻密さがあり、拝見する度にその迫力に圧倒されてしまいます。今回は新潟行きを計画しているところにちょうど木下さんから連絡があり、個展のギャラリートークでのオープニング演奏をと、お声をかけて下さったのです。

東京から柏崎までは300キロちょっと。100キロで走っても3時間かかるわけです。しかも、なんとしても演奏開始の14時前には着かなくてはいかん…、と、あせる気持ちを抑え、休憩したり、駐車に苦労したり、道に迷ったりしつつも、事故を起こすこともなくどうにか11時過ぎには会場となる柏崎駅近くのギャラリーに無事到着! しかも、車体のどこもこすったりしていない。自分で自分をほめてあげたいような気分です…。

木下さんや主催者の方たちと打ち合わせ後、開演まで会場から徒歩5分の柏崎市立図書館で瞽女さんの資料を検索。短時間だったのでほんの少しではありますが、いくつか瞽女さんに関する資料を発見、コピーの申請をしてまた会場へ。

昨年7月の中越沖地震の影響はまだまだ残っているようで、図書館からギャラリーまでほんの5分ほどの道にもかかわらず、墓石が倒れたお寺や、灯篭が崩れた神社、工事中の商店、亀裂の走った歩道など、いくつもの再建工事中の現場を目にしました。東京にいるとつい忘れてしまいがちだけれど、柏崎原発も運転を停止したままだし、依然、柏崎は復興中なのだと気付かされました。

息を切らせてギャラリーに入ると、開演まで30分以上時間があるにもかかわらず、中はすでに50人ほどのお客様でほぼ満席でした。急いで準備をしつつ、力をつけようと木下さんと二人でお饅頭をパクパク。上品な白餡とふんわりした皮に、思わず「美味しいですね〜」と、顔を見合わせてしまったのですが、この「明治饅頭」、柏崎では有名な銘菓なんだそうです。

小林ハルさんを描いた作品を背に、いよいよ演奏。運転の疲れが出てしまうのではないかとちょっと心配だったのですが、お客様も瞽女さんをご存知の方がほとんどであたたかい雰囲気だったせいか、小林ハルさんの絵を前にした緊張感か、はたまたお饅頭パワーのおかげか、「門付け唄」や「葛の葉の子別れ」などをしっかりと唄うことができました。曲目を言うたびに多くのお客様が笑顔で頷いて下さり、まだまだ瞽女唄を覚えている方が多いのだなぁと思うと、ジーンとしてしまいました。

演奏後は地元の歴史館の方とお話した後、本当は木下さんの講演をゆっくり聞きたかったのですが次の予定があったため残念ながら20分ほどで退席、図書館で資料のコピーを受け取り、次の目的地・上越市高田へ向かいました。

 

 

グラフィック誌

グラフィック誌

左の表紙は昭和10〜20年代に活躍した音楽コントグループ「あきれたぼういず」。内容は戦時中の世相を反映してか、戦争を鼓舞するものがほとんど。瞽女さんの記事はちょっと浮いるような。

海沿いの国道8号線を走り、16時に柏崎を出てから1時間くらいで高田に到着。高田瞽女を研究されている市川信夫氏と落ち合い、ご自宅にお邪魔しました。信夫氏のお父様である故・市川信次氏は民俗学を研究されており、早い段階から地元・高田の瞽女さんたちの民俗学的な重要性に注目、後に起こる瞽女ブームの遠因となり、瞽女さん側の窓口ともなった人物です。信次氏もお父様の遺志をつぎ、高田の瞽女さんたちに関する貴重な資料や写真を数多く保管されています。茶室を兼ねた落ち着きのある応接間で、瞽女さんの思い出話をうかがったり、資料を拝見しているうちにあっという間に時が過ぎ、21時近くまで長居してしまいました。写真左側の雑誌は信夫氏所有のもので、写真家・濱谷浩氏が撮影した瞽女さんの写真が掲載された昭和14年4月号の「グラフィック」誌。これ、私も探しているんですけれどなかなか無いんですよね。

 

 

信夫氏と別れた後、夕食はすでに軽く済ませていたのですが、やはり上越まできたらどうしてもお寿司が食べたくなってしまい、ひとりで駅前のお寿司屋さんへ。少ししか食べなかったけれど、お魚が新鮮なせいか安いのに美味しい! 最後にサービスで出たあら汁もいいお出汁で、本当にあらですかというくらい身が入っているし、大満足でした。ホテルにチェックイン後はお風呂に入り、寝ながら図書館でコピーした資料を読もう、と、手に持ったまま眠ってしまいました。

 

 

 

山門

墓所のあるお寺の山門

2日目は8時に出発、まずは高田駅周辺の高田瞽女ゆかりの場所を信夫氏に道案内をして頂きながら巡りました。

やはり最初はお墓参りということで、高田瞽女・杉本家のお墓へ。こちらには何度かお参りしたことがありますが、以前来た時はお寺の方が親切にお墓の場所を教えて下さったり、雰囲気の良いお寺です。自分とは血縁の無い方々のお墓にこうしてお参りしているというのは、よく考えてみると不思議。血縁はないけれど、芸縁がある、とでもいうのでしょうか。芸縁なんて言葉はないか。

 

 

杉本家

杉本家のある通り

次は元・杉本家がある住宅街へ。現在は杉本家とは関わりの無い方がお住まいですが、建物は杉本キクエさんたちが住んでいた当時と同じものです。もちろん細かいリフォームはされているようですし、周囲の様子も昔の写真で見るのとは変わってしまっていますが、以前、中を見せて頂いた時は細長いたたきや階段など、内装はほとんど変わっていない様子でした。外から見るだけでも、この道をお風呂に通っていたんだな、なんて、しみじみしてしまいました。

 

 

雁木

雁木の残る一角

こちらは、高田独特の「雁木」が昔のままに残っている一角。雁木というのは雪よけのために各家の軒先を伸ばして歩道を覆うようにした昔のアーケードのようなもので、雪国ならではの知恵によって生まれた建築です。木作りの雁木は少なくなったそうですが、高田の町ではまだところどころに残り、風情ある町並みを作り出しています。信夫氏によれば、雁木の下を並んで歩く瞽女さん、というのが高田ならではの風景だったとか。

 

 

天林寺

天林寺の奥さんと信夫氏

高田周辺、最後は高田瞽女さんたちにゆかりの深い天林寺。こちらのお寺では、高田の瞽女さんたちが年に一度集まって開く妙音講が行われていました。妙音講は個々人の昇格や降格を決めたり、演奏会をしたりする今で言う役員会のようなもので、瞽女さんたちにとって重要な場でした。天林寺の奥さんによれば、杉本キクエさんはお庭の牡丹が好きで、花に顔をうずめるようにして香りを楽しんでいたそうです。

 

 

日光寺

木に囲まれた日光寺

以前たくさんあった「め」と描かれた絵馬や、五円玉でやはり「め」とかたどった額などはすべて整理されてしまったようで、少ししか残されておらず残念でした。高田からは16キロほどなので、旅なれた瞽女さんたちなら歩きでも半日くらいで来れたのではないでしょうか。

信夫氏と別れ、10時に高田を出発。畑中の国道を通って杉坪山日光寺へ。日光寺は別名杉壺薬師とも呼ばれ、眼病に霊験あらたかと言われていて、杉本キクエさんなどの瞽女さんたちもこもって開眼を願ったお寺です。途中、国道から入る細道でふと不安になり、農作業中の農家の方に何度か道をたずねたものの、迷うこともなくスムーズに到着。以前来た時は入り口が雪に埋まっていたりしてかなり山の中だというイメージがあったんですが、すぐそばまで畑があるし、そうでもなかった。以前は雪で見えなかったのかもしれません。本堂脇の庫裏に声をかけてみましたが、残念ながらお寺の方はご不在の様子だったので、木に囲まれた本堂を一人でパシャパシャと撮影。すると、さっき登ってきた細道をなぜかパトカーが走って来るじゃありませんか。そう、私、不審尋問されてしまったんです。すぐに信用してもらえましたが、初めてのことで驚いてしまいました。農家の方にはあやしまれないよう、精一杯さわやかに挨拶したつもりだったのですが…。逆効果だったか。

 

 

火の見櫓

国道253号線の火の見櫓

国道253号線を上越市に戻りつつ、途中でお昼休憩。適当に入った味噌ラーメン屋さんだったけれど、ニンニクがきいていて美味しかった。戻りは、ひたすら253号線をまっすぐ行ったのですが、困ったことにこの道、私が見かけるたびに写真を撮ってコレクションしている火の見櫓がたくさん建っていたんです。群生地と言っても過言ではないかと思います。でも、いちいち止まっていては時間が無くなってしまうし、運転もおぼつかないので、ほとんどは泣く泣くあきらめました。でも、どうにも我慢できず数ヶ所だけは撮影。上越の櫓は関東のものより細身で、瞽女さんを多く描いた画家・斎藤真一さんの絵にときたま描きこまれているものそのままでした。

 

 

再度、高田方面まで戻り、今度はもう少し海岸沿いの町・直江津にある、上越市立水族博物館へ。この水族館では「海のマルチシアター」と題し、巨大なスクリーンで海にまつわる4つのスライドを月替わりで上映しています。実は、そのスライドのうちのひとつで上越市出身の童話作家・小川未明の代表作を映像化した人形劇「赤い蝋燭と人魚」で流れている瞽女唄、これ、私がレコーディングした演奏なんです。1997年に録ったものなのでかれこれ10年以上たっているのですが、4ヶ月のうち1ヶ月しか上映されないこともあり、タイミングが合わず今までビデオでは見ていても現地で見たことがありませんでした。5月、9月、1月と上映されているうちで今回はちょうど5月。これは見に行かねばと足をのばしました。メロディーは「葛の葉の子別れ」を元にしていますが、歌詞は脚本を書いた方が「赤い…」の物語を語るように作詞したもので、実際の瞽女唄には無い演目です。上映時間が近くなると、徐々に家族連れや年配のご夫婦が集まってきました。そして、上映開始。悲しい内容と、我ながら激しい三味線の音で、小さな子は泣き出してしまうのではないかと思ったのですが意外にも泣く子などはなく、見入っているような感じでした。とにかく激しく弾いてくださいって言われたなぁとか、あれ、こんな歌い方したかなとか、様々な思いが駆け巡っているうちに上映終了。次々と出て行くお客様に、まさか「私が演奏していたんですけど、どう思いました?」と聞くわけにも行かず、私も会場を後にしました。今、改めて見てみるとバランスのとれた良い作品という感じ。もちろん、今ならもっと…、という部分はたくさんありましたが、それは言っても野暮なだけですし。人形劇で三味線と唄が物語を語る、これってもしかしたら、人形浄瑠璃をイメージしていたのかもしれません。あの頃はそんな演出の意図にも気付かず、ただ必死で演奏していたんだなぁ。

次の上映は9月ですが、悲しく、切なく、とても良い作品ですので、上越市周辺にお住まいの方はぜひ見に行ってみて下さい。詳しくはコチラ→海のマルチシアター詳細

 

 

島道鉱泉1

島道鉱泉からの眺望

 

 

島道鉱泉2

木造2階建の島道鉱泉

 

そして、最後の目的地である島道鉱泉へ。杉本キクエさんたちが旅を終えるまで長く瞽女宿にしていたこの鉱泉は、現在も営業中で予約をすれば泊まることもできます。14時少し前に水族館を出発し、海沿いの国道8号線を走って上越市の隣、糸魚川市の能生を目指します。この日も快晴だったおかげで海がキラキラと輝いて、冬の日本海とは別の場所のようでした。島道鉱泉は能生の駅から近いからと油断していたのですが、山道に入る分岐を間違えて恐ろしい細道をユーターンするはめに。その後も最後の難関といった道のりが続き、対向車が来たら私では絶対にすれ違えないと思われる急で細い山道をしばらく登り、どうにか15時すぎには到着することができました。

心配していた営業時間にも間に合い、まずは入浴。大きさはちょっと広めの家のお風呂ぐらいですが、タイル張りの湯船は清潔感があり、お湯も愛媛の道後温泉に負けないくらい良いお湯で、疲れがスーッと抜けていくようでした。キクエさんたちもこのお湯を楽しみにしていたというのが頷ける気がします。お湯からあがってから、夕食のお膳を用意していた奥さんと少しおしゃべり。キクエさんたちが来ていたのは、奥さんがお嫁に来て間もない頃だったそう。居間は昔のままだというのでお願いして見せていただくと、写真で見覚えのある囲炉裏や間取りだったので、本当にここに来ていたんだなぁと思うと胸がいっぱいになってしまいました。次は一泊して、ゆっくりお話を聞いてみたいです。

 

 

16時半頃に島道鉱泉を出発、途中、道の駅で名物のカニを買ったり、眠気が襲ってきたので高速のPAで仮眠をとったり、渋滞に巻き込まれたりしつつも、23時過ぎには家に帰りつくことができました。

駆け足だったけれど、目的地をひとつも欠かさず回りきれたし、充実した、行った意味のある旅になったと思います。次は、長岡に行きたいと計画中です。実現したら、また報告しますね。

 

 

 

 

 

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